大判例

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東京高等裁判所 昭和28年(ネ)1202号 判決

原告(一三一五号控訴人) 名倉順二 外九名

原告(一二〇二号被控訴人) 樋口清一 外二名

被告(一三一五号被控訴人 一二〇二号控訴人) 中央労働委員会

補助参加人 三井造船株式会社

主文

本件各控訴はいずれもこれを棄却する。

控訴費用中原告樋口清一、同秋山順一、同住田正文と被告との間に生じた部分は被告の負担とし、その余の原告らと被告との間に生じた部分はその余の原告らの負担とし、参加によつて生じた費用中原告樋口清一、同秋山順一、同住田正文との間に関するものは補助参加人の負担とし、その余の部分はその余の原告らの負担とする。

事実

原告ら代理人は昭和二十八年(ネ)第一三一五号事件につき原告名倉順二、同神羽正作、同碇金和男、同藤本肇、同尾高瀞、同松田良春、同平野嘉太郎、同立花重道、同小野久吉、同片山恒夫のため、「原判決中右原告らに関する部分を取り消す、被告らが昭和二十六年十月二十四日付で再審査申立人原告ら、再審査被申立人三井造船株式会社間の中労委昭和二十六年(不再)第二十九号三井造船事件(初審岡山地労委昭和二十五年岡委(不)第一、二号事件)につき右原告ら十名に対してした命令を取り消す、訴訟費用は第一、二審とも被告の負担とする」との判決、昭和二十八年(ネ)第一二〇二号事件につき原告樋口清一、同秋山順一、同住田正文のため、被告の控訴を棄却するとの判決を各求め、被告代理人及び補助参加代理人は昭和二十八年(ネ)第一二〇二号事件につき、「原判決中原告樋口清一、同秋山順一、同住田正文に関する部分を取り消す、右原告らの訴を却下する、訴訟費用は第一、二審とも右原告らの負担とする」との判決、仮りに右申立が理由がないとすれば「原判決中右原告ら三名に関する部分を取り消す、右原告らの請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも右原告らの負担とする」との判決、昭和二十八年(ネ)第一三一五号事件につき「原告名倉順二、同神羽正作、同碇金和男、同藤本肇、同尾高瀞、同松田良春、同平野嘉太郎、同立花重道、同小野久吉、同片山恒夫の各控訴はこれを棄却する」との判決を各求めた。

当事者双方の法律上及び事実上の主張、証拠の提出援用認否は次のとおり附加するほかすべて原判決事実らんに記載されたとおりであるからここにこれを引用する。

発することは市民の自由として許されるものであるところ、ことに当時は争議中であり、しかも争議行為としてなされたこの程度の行為をもつて懲戒解雇の事由とすることはきわめて不当といわなければならない。

原告平野嘉太郎の行為は誤解にもとずくただ一回の職場放棄であるのに対し懲戒解雇をもつて遇したことは不当であるとともに、他の同様の職場放棄につきなんら処罰のなされていない事例に徴しても同人に対する懲戒解雇処分が差別的取扱であることは明らかである。

原告樋口清一、同秋山順一、同住田正文の解雇事由は「昭和二十四年十一月二十九日エルゼメルスク号運転停止の中闘指令の発令に際し同僚を煽動上長の許可を得ず職場を離脱し同船にて平常業務としてセメント工事に従事中の塗装部職場員に対し作業中止を強要し故意に会社の不利益を図り業務を渋滞させる行為を行つた事実」というのであるが、同日同原告らが第五四七番船(エレンメルスク号)からいつたんハウスに帰つたのは全く誤解にもとずくものであり、ハウス前において組長から「君達は帰らんでもよいんだ」といわれて再び作業現場(第五四七番船)に帰る途中岸壁で永井艤装係長と高橋正郎艤装係とが平野職闘支部長や名倉中闘委員ら組合員に囲まれてセメント工を乗船させたことについて質問を受けているのに出会し、原告樋口も同様質問し、原告住田も一言をさし挾んだところ、松浦職場長から「ここは平野にまかせて君達は作業現場へ行け」といわれて一同前記作業現場に戻つたというに過ぎない。もともと本件は中闘指令の「運転要員」の解釈についての争いをめぐつて起きた問題である。会社側はペイント工、セメント工のようなものは平常業務であつて運転要員ではなく、この事理は明白で争う余地はないというが、当時実際には、それほど明白ではなかつたのであり、このことは当時会社が運転しようとしてエルゼメルスク号に乗る者にはペイント工、セメント工をも含めて一様に赤い腕章を巻かせたことからもうかがわれる。またもし、それほど解釈上疑いがないものであれば、当日はじめから会社の業務命令に従わなかつたペイント工やその他の部門(例えば銅工)の工員について、当然なんらかの処罰がなされるべきであるのに、会社はこれをストライキだからと称して一人も処罰していないのである。かりに同原告らに会社側のあげるような事実が多少あつたとしても、これによつて懲戒解雇に処するのは著しく不当であり結局不当労働行為と目されるべきものである。なんとなれば同原告らのした職場放棄はわずか十数分ないし二十分、会社側のいうところによつても三、四十分に過ぎない。この程度の職場放棄は平時はもちろん本件スト中にも一般に見られるところであつて、これが解雇理由として取上げられるということはなかつたものである。また同原告らの岸壁における行動はたまたま通りかかつたときすでに岸本、平野らによつてはじめられていた質問に口をはさんだというに過ぎず、それ自体重要なものではない。同原告らに適用された旧就業規則の該当条項には「会社の諸規則に………違反し、上長係員らの正当な指令に服せず………者」とか「正当の理由なく故意に業務を渋滞させる行為があつた者」とがあり、それは原則として譴責、減給、又は職分剥奪に処すべきものとせられ、ただ特にその情状の重い場合にのみ懲戒解雇に処し得るものとせられているのである。今日解雇、殊に懲戒解雇は、労働者を社会的に葬るのみでなく、その家族にも悲慘と苦悩の運命をもたらすものである。原告らの所為はこのような処分に値するほど情状重きものではない。それにもかかわらず会社があえてこの懲戒解雇の処分を採つたのは結局同原告らの正当な組合活動の故とせざるを得ないのである。

被告代理人及び補助参加代理人の主張。

(本案前の主張)

原告らは本来本件行政訴訟を提起することができないものである。およそ労働委員会が労働組合法第二十七条にもとずく労働者又は労働組合の救済申立を棄却又は却下した場合に、右申立人は行政訴訟を提起してその処分を争うことができないし、またその利益もない。

(一)  本来行政訴訟を提起することができるのは、具体的に行政処分がなされたのに対しその違法を争う場合であつて、まだ行政処分がないのにそれを争うことができないのはもちろんである。しかして行政処分とは行政主体の単独の意思によつて法律上の効果を発生するものと定義されているが、労働委員会が労働者側の救済申立を棄却し、また中央労働委員会が地方労働委員会の棄却命令を維持したときは、そこに法律上の効果を生じないから、なんらの行政処分が存在しないのである。すなわち国民は行政機関に対してはその発動を促し得るのみで発動を強制し得ないことは行政法上の原則である。申立却下ないし棄却はその非発動を意味し、しかもそれは労働委員会の権限に委されたものである。従つて発動しないからとて訴訟の提起を許すとすれば、それは行政機関に対する国民の強制を許すことになる。労働組合法が第二十七条第六項で使用者について行政訴訟を提起することができる旨を規定しながら、労働者側についてはこの点についてなんらの規定を設けていないのも右の理由にもとずくものである。もしそうでなければ同法第二十七条第六項の定める三十日の出訴期間は行政事件訴訟特例法第五条の定める六ケ月の期間とはなはだ権衡を失することとなるのであろう。

(二)  仮りに労働委員会の棄却命令が行政処分とみられるとしても、労働者側はこれによつてあらたな不利益を受けるわけはないから、右命令を訴訟で争うことについてなんらの利益を有しないものといわなければならない。そのことは仮りに労働者側が勝訴判決を得て労働委員会の棄却命令が取消された場合を考えてもわかるのであつて、右取消によつて原告の権利関係になんの変化もないのである。

(三)  あるいは労働組合法は労働者に対して労働委員会に救済を申し立てる権利を与えたものであつて、労働委員会はいやしくも不当労働行為が存在する以上右申立人に対してなんらかの救済を与える義務があるから、労働委員会が棄却命令により当然に与えなければならない右救済を拒否したときは、これによつて申立人の権利を侵害したものであるといい、従つて右申立人はその場合裁判に提訴して右侵害された権利を回復する利益があるというであろう(原判決理由)。しかし労働組合法が不当労働行為及び労働委員会の制度を設けて労働組合の保護をはかつているのは、国家が労働組合育成の見地から労働者の団結に対して特に与えたいわば恩恵のようなものであり、国家はその行政上の立場から右保護を与え、又は与えないことができるのであつて、従つて前記労働組合法の規定も労働者に必ず救済を求め得るという権利を与えたものと解してはならないのである。なおあるいは労働者が労働委員会の申立棄却処分を行政訴訟によつて争い得る根拠として、労働委員会は右処分に対する取消判決が確定したときはその拘束力を受け労働委員会の命令の違法なことが確定されるというであろう、原判決理由)。しかし労働委員会が仮りに判決に拘束されるとしても、それはせいぜい裁判所の法律上の判断と相反する判断をすることができないというに止まり、判決と別の根拠にもとずいてあらたな判断をすることを妨げないのである。従つてこの点からいつても実益がないといわなければならない。

(本案に対する主張)

一、原告樋口清一、同秋山順一、同住田正文について。

同原告らが昭和二十四年十一月二十九日五四七番船(エレンメルスク号)の職場を離されたのが同原告らの誤解にもとづくもので、職場を離脱して塗装ハウスに引揚げたところ上長から職場へ帰るようにいわれたので引き返したとするのは事実に相違する。当時組合中闘委員会は指令第三十六号をもつてエルゼメルスク号の運転要員に乗船拒否を指令したところ、セメント工は右指令にいわゆる運転要員に含まれないものとして艤装係長永井一夫及び同係高橋正郎の措置に従い乗船してしまつたので、本件の紛議を生じたのであるが、エルゼメルスク号に乗船して作業を行う従業員の中には、船の運行、試験等に必要な本来の運転要員と、試運転にはなんらの関係なくそれ以前からその船中で仕事をしている塗装工(ペイント工、セメント工)のような平常業務をする者とがあるが、「運転要員」といえばその前者だけを指すことは、長く工場にいる者なら常識上わかることであるのみでなく、いやしくも普通の常識のある者ならばその用語自体からもたやすくこれを肯定することができるであろう。もつとも会社は、エルゼメルスク号が輸出第一船で最新型の船舶であるところから、乗船希望者が非常に多数にのぼつたので、これを制限するため、乗船許可証として当日運転要員と平常業務員との別なく赤い腕章をつけさせたけれども、原告らは右の明白な区別をことさら無視して当日の種々の紛争をひき起したのである。中闘委員井上、青井らは現に高橋がセメント工を乗船させることを黙認し、同名倉も運転関係以外は例えばセメント工らは乗せたといつている。前記原告ら三名がエルゼメルスク号の繋船岸壁における所為は、原告らのいうような平穏なものではなく、はじめ平野が永井及び高橋に抗議しており、そのまわりに組合員が相当数集つていたところへ、右原告らが来かかり、人をかきわけて前に出て、平野に調子を合せて激烈な態度で抗議したのである。そこで塗装職場長松浦一二が右原告ら三名に対し「とにかくこの場は平野にまかせて職場へ帰れ」といつたのであるが、原告秋山はさらにセメントハウスへ行つて闘争支部長である藤田卯三郎に対し同様の抗議を行い、あまつさえ銹打のハンマーを振り上げて「あとで覚えておれ」と捨てぜりふを残して引き上げたというのが事の真相である。なお原告秋山は、同日朝造機部が無断で職場放棄をして職場会議を行つたのに際し、自ら同職場に属しないに拘らず自己の職場たる塗装職場の従業員を先導引卒し、これに参加して気勢をあげた事実もあるのである。これを要するに右原告ら三名の行動は著しく不当なものであつて、会社がこれを懲戒解雇したことについてはなんらの違法がない。仮りにこれに対して就業規則の懲戒解雇の条項を適用するのは重きに過ぎるとしても、これを本件において主張するのは誤りである。けだし、労働者が労働組合法の規定によつて労働委員会の保護を求めることができるのは、労働組合の正当な行為をしたことの故をもつて、その労働者に対し使用者が解雇その他の不利益な取扱をした場合に限る(同法第七条)のであるから、労働者がいやしくも違法な行為をし、使用者がそれを理由に右労働者解雇した以上、右労働者の行為の違法性が軽微であると否とを問わず、労働委員会は右解雇を攻撃する権限がないのである。行政訴訟が右委員会の命令についての判断をするものである限り、裁判所もまた右行政庁の権限以上のことをなし得ないことは多言をまたないのであろう。本件のような場合に懲戒処分が重すぎるか否かは労働協約、就業規則等の問題であるから、裁判所は解雇無効の民事訴訟手続ではこれを判断することができるのであるが、これは不当労働行為の問題ではないから、労働委員会の命令に対する行政訴訟手続ではこの点を判断の対象とし得ないのである。

二、その余の原告らについて。

原告らは会社が同原告らに対する解雇の事由としてあげる事実は虚偽誇張にあらざれば原告らの正当な組合活動であるから、右解雇は原告らに対する不当労働行為であり、会社の右不当労働行為の意思は会社の組合に対する離間工作や第二組合育成の事実によつても裏書されていると主張する。会社のあげる解雇理由はいずれも原告らの属していた組合が昭和二十四年九月から十二月にかけて会社に対して行つた争議中、右争議行為として又はこれとなんらかの関連においてした行為であるとはいい得るであろう。しかしこれらの事実の認定にあたり少くとも被告委員会にはなんらの虚偽も誇張もないのみならず、原告らの行為はあるいは正当な範囲を逸脱した争議行為であり、あるいは中央闘争委員会の意思にもとずかない各個人の行為であつて違法なものといわざるを得ないのである。すなわち多くの原告について解雇の理由とされているエルゼメルスク号入渠阻止行為は、船のタラツプ占拠、入渠作業のためのロープ上の密集、入渠作業者に対する暴行、クレーン使用に対する投木等による妨害のような暴行行為を伴う著しく違法な争議行為である。次に原告尾高の酸素供給中止要請、同藤本のエアーコンプレツサー運転停止等は組合活動といい得ない個人の行為である。以下各人について説明する。

(一)  原告尾高瀞について。

原告のいうところは(1)組合の争議行為の効果を無にしないため第三者と使用者との間の取引(本件では酸素の供給)を中止させる手段として必要であるから、右第三者に対し使用者との取引を中止しないときは告発するかも知れない旨を告げたとしてもそれはピケッティングとして正当である、(2)本来違法行為を摘発することは市民の自由として許されるものであり、ことに、いわゆる安全遵法闘争を実施している際には安全のための法規に違反する個所を摘発することが右闘争の趣旨にかなうものであるから、違反者に右告発するかも知れない旨を告げることは違法でない、(3)仮りになお違法であるとしても違法の程度は低く、解雇の事由にはなるほどではないというにあるようであるが、右の対所論はことごとく誤つている。右(1)の理論は争議の効果を維持するためなら組合員はピケッティングとして第三者にし脅迫等の圧力を加えても差し支えないということで、なるほど団結権の意味を非常に広く解してピケッティングとして暴力の行使まで是認しようという考え方も現在なお姿を消してはいない。しかしおよそ法治国自ら法秩序を放棄するような法理が許されるはずはなく、ピケッティングにもおのずから限界のあるのは当然であつて、その合理的な限界としては「穏和な説得」の範囲に止まらなければならないとするのが通説である。「穏和な説得」とは相手方に対し道理を説きあるいは自分達の立場を訴えてその自由な意思による協力を求めることであつて、原告のいうように相手方の弱点をとらえ、これを利用して相手方を脅かし、それによつてこちらの要望に従うの余儀ない状態におとしいれるようなことがこれに含まれないのは明らかであろう。原告尾高の行為が右限界を越えるものであり、殊にこの場合相手方は争議破りの労働者でなく純然たる第三者であるだけに一層許されないのである。(2)の理論も正しくない。なるほど一般に告発することは市民の自由に委されたところである。しかしこの告発の自由を利用して相手方を脅かし、これにより告発制度の期待するところと別種の利益を相手方から奪い取ることが許されないことは多言をまたない。それはまさに脅迫、恐喝等をもつて論ぜられるべき行為であり、その得ようとする利益が争議目的と一致する場合であつても同じである。ことに本件における原告尾高の行為の相手方は争議関係上第三者なのであるから情状考慮の余地は全くなく、違法の程度が軽減されるということも考えようがない。(3)この故に同原告のいうところを綜合してもその違法性は軽くないのみならずかえつて会社に対する著しい業務妨害であるから、それを理由として解雇処分を受けてもやむを得ないといわなければならない。なお懲戒解雇の事由が薄弱ということをもつて本件訴訟上の主張とすることの許されないことはさきに原告樋口、秋山、住田三名について述べたとおりである。なお原告尾高の右酸素供給中止要請行為をもつて組合の安全遵法闘争の争議行為の一部とするのは正当でなく、これは中闘委員会の決議を経たものでなく、全く同原告の裁量による個人の行為であり、これを理由とする解雇はその当、不当を論ずるまでもなく労働委員会の救済の対象とはならないのである。次に原告尾高が問題の中闘指令第七八号第七九号を決定する際出席していなかつたことをもつて、同人に責任がないとするのも失当である。中央闘争委員の一部の者がたまたま病気不在その他の理由で争議行為の決定、遂行に関与しなかつたとしても、いやしくも自ら闘争委員を引き受けている以上闘争委員会の行動に対して責任をとるべきことはむしろ当然ではなかろうか。けだしその者が右のように闘争委員会の会議に欠席した時のみならず、進んで会議に出席して組合が違法行為をすることに対して終始反対し続けた時であつても、右闘争委員会に在任する限り自らの最終責任を同委員会の多数決に委ねているのであるから、委員会の行動に対して責任をとるべきことは当然であろう。いわんやこれより先、組合は中闘指令第三六号、第四〇号により組合員をしてエルゼメルスク号の予行運転及び繋留運転に従事させることを拒否していた。しかし会社は同船の完成を急ぐので協力する従業員の手によつてその入渠作業を実行しようとしたところ、組合は右一般指令の実施のために重ねて中闘指令第四四号、第四七号を出して右入渠を阻止すべき方法を具体化しているのであつて、本来同船はすでに十一月二十九日以来組合によつてその最も重要な段階における建造工事を妨げられていたのである。原告尾高は先の一般指令には中央闘争委員長として自ら関与していたのであるから、とうてい本件入渠阻止の違法行為の責任を免れ得る筋合ではない。

(二)  原告平野嘉太郎について。

同原告に対する懲戒解雇の事由につき同原告は右は誤解にもとずくただ一回の職場放棄でありそれ自体重きに過ぎ、他の同様の職場放棄についてはなんらの処罰もされていないから、同原告に対する解雇は差別待遇による不当労働行為であると主張し、まず右にいう誤解とはエルゼメルスク号の海上予行運転に際し組合中闘委員会がその運転要員の乗船を禁じたことにつきセメント工が右の運転要員中に含まれるものと誤解したというのであれば、その点は誤解する余地のなかつたことは前述のとおりであり、仮りに同原告が軽卒にその点を誤解したとしても、そのことと同人の職場離脱との間には必然的関連がない。すなわち同原告は当日右エルゼメルスク号に乗船を命ぜられたわけではなくて、なんら問題のない平常の仕事を与えられていたのに拘らず、その職場を離脱したのであるから、これには右誤解以上に何か特別の目的があつたのだといわざるを得ない。この日同原告は全く仕事をせず、岸壁で組合員らが永井、高橋らに不当の抗議をした際終始同所にあつてその先頭に立つているのであり、その行動が違法なことは明らかであり、同原告が職場闘争支部長で右行為が組合活動であつても正当な範囲を逸脱している。また同様の職場放棄をした他の者が解雇されなかつたとしても、原告平野の職場放棄が違法で解雇に相当する限りそれだけで不当労働行為があると推定し得ないし解雇が違法であるともいえない。しかも原告平野の行為は他に比べてその情状がきわめて重いのである。

(三)  原告神羽正作、同名倉順二、同藤本肇、同碇金和男、同立花重道、同松田良春、同小野久吉、同片山恒夫について。

これら原告八名については原判決の判断は相当であり附加すべきものはない。

三、なおいわゆる第二組合である三井造船労動組合の結成について補足すれば、元来右組合結成前後の経緯は自然であつてその間会社のこれに対する特別の援助とみられるようなものはないのみならず、原告らに対する解雇の行われた昭和二十四年十二月二十四日及び三十日当時は原告らの属していた第一組合はもはや主導権を失い、闘争態勢を解いてしまつていたのであつて、会社としては今さら原告らを解雇することにより第一組合に攻撃を加える必要はなかつた。従つて右解雇をもつて不当労働行為の徴表であると考える理由も存しないのである。(立証省略)

理由

第一被告及び補助参加人(以下本項においては被告という)の本案前の主張について。

一、被告は、不当労働行為救済の申立を却下又は棄却した労働委員会の命令に対しては労働者は行政処分取消訴訟を提起し得ないと主張する。

行政事件訴訟特例法は行政庁の違法な処分に対してあまねく行政訴訟を提起し得ることを規定している。そこでまず労働委員会が不当労働行為救済の申立を却下又は棄却した処分はここにいう行政処分といい得るかどうかについて検討する。

憲法第二十八条は労働者の団結権、団体交渉その他の団体行動権を保障した。この規定は労働者の団結及び団体行動そのものを違法とすることなく、かえつてこれを権利としてなんぴとも侵害し得ないことを宣明したものである。これにより、労働者がこれらの権利の上に立つて自主的に使用者と交渉し、その地位の向上確保をはかることが期待せられることとなるわけであるが、国は今日の段階においてはなおこの団結権、団体行動権は国による特別の擁護助成を要するものとし、労働組合法において使用者によるこれらの権利の不当な侵害を不当労働行為として禁止するとともに、その違反については労働者又は労働組合に労働委員会に対して救済を求めることを得しめている。労働委員会は労働組合法にもとずき同法その他の法令に定める特別の職務権限を行うために設けられた国の機関であり、国の行政目的を達成することを任務とする行政機関であり、その権限の発動としてする処分が行政処分であることは疑いの余地がない。しかして労働組合法第二十七条は不当労働行為救済の申立があつたときは、労働委員会は事案について審査の上事実の認定をし、その認定にもとずき申立人の請求する救済の全部又は一部を認容し、又はその申立を棄却しなければならないとしているのであつて、その文言によれば不当労働行為の存することが認定されるならば、労働委員会は常に必らずなんらかの救済を与えなければならない法律上の義務を負うものであると解するのほかなく、これにかかわらず被告主張のように解釈しなければならないとする根拠たるものは、同法中ないしその他の法律中に存しないし、労働委員会が本来行政庁であるとの一事はもとよりかかる根拠たり得るものではない。この場合いかなる救済を与えるべきかは具体的には法の規定するところではないが、使用者の不当労働行為を排除して法の期待する労働者の団結権、団体行動権の保護助成に適するものであるべきことはおのずから明らかであり、ただいかなる救済方法が最もよくその目的にかなうかの判断すなわち救済命令の内容の選択は労働委員会の裁量にまかせられているといい得るであろう。(この場合にもその裁量にして法の目的に反するならばなお違法の処分たるを失わない)しかしいやしくも不当労働行為の存するに拘らず、なんらの救済をもしないとすることは許されないところである。これを反面からいえば、法は労働者又は労働組合に対し、かかる権力の発動を要求し、この手続によつて団結権団体行動権の侵害の排除をはかることを保障しているのであつて、この申立があるにも拘らず、労働委員会がなんらの権力発動をもせずこれを放置することはできないものといわなければならない。

被告は労働者の救済申立を却下又は棄却する処分は行政権の発動のない状態であつて、行政処分というべきものではないという。しかし救済の申立があつて、審査の結果、救済を与えないことを最終的に決定することは、それ自体行政処分であつて、かように決定された場合をもつて、まだ救済を与えるかどうかを決定しない場合と同一視し得ないことは明白である。もし不当労働行為の存するに拘らず、その申立を棄却又は却下するならばそれは違法であつて、前記行政事件訴訟特例法にいう行政庁の違法な処分に該当することは明らかであり、取消訴訟の対象となるものといわなければならない。もつとも、法が一般の権利侵害に対する救済方法の外にこのような労働委員会による救済制度を設けたのは前記のように特に今日の段階においてそうするのが相当であるとしたからであつて、その救済は国の特別の保護であり、本質上は一種の恩恵で、これによつて労働者の受ける利益はその恩恵の反射的効果であつて本質的には権利といい得べきものではないということは必ずしも否定し得ないであろう。しかしとにかく、すでに国が今日立法政策としてかかる制度を設けている以上、労働者はこれによつて保護される法律上の地位にあり、その利益は法律上のものであるから、それがもともとは恩恵的であるというだけで違法な救済拒否処分に対する取消訴訟を否定することはできない。

また取消訴訟においては違法な処分を取り消すだけであつて、これに代る処分を求めることを得ないことは権限の分配上明らかであるが、いつたん判決によつてその処分が取り消されれば労働委員会は同一の理由によつて再び申立却下又は棄却の処分をし得ないこととなり、あらためてなんらかの処分をしなければならないこととなるだけであり、行政庁が法に従つて行動すべき一般義務の状態に何物をも加えるものでないから、そのことの故に申立却下又は棄却の処分に対する訴訟を許すことが、行政権に対する国民の強制を許すこととなるものとは解し得ない。

労働組合法第二十七条第六項は使用者につき労働委員会の命令に対し行政訴訟を提起し得ることを規定し、労働者又は労働組合については同条第十一項に「この条の規定は労働組合又は労働者が(中略)訴を提起することを妨げるものではない」と規定するに止まる。被告はこれをもつて労働者には民事訴訟のほかは労働委員会の処分に対する行政訴訟を許さない趣旨であるとするけれども、失当である。右第六項は使用者が行政事件訴訟特例法によつて本来有する訴訟提起の権利を当然の前提とし、ただその出訴期間その他の要件の特則を定めたものに過ぎず、これによつて使用者にだけ特にあらたに行政訴訟提起の権利を与えた趣旨でないことはその規定の文言上も明らかであつて、このほかに労働組合又は労働者が行政訴訟を提起し得るかどうかは、この条項自体からは決せられないのである。もしこれを許さぬとすればその旨明文をもつて規定せられなければならないのに、むしろ右第十一項が「訴」といつて民事訴訟に限定することをしないところからすれば、これをもつて労働者に行政訴訟の提起を許さぬ根拠とすることはできない。ただかく解すれば労働者の提起する訴と使用者のそれとの間に、特に出訴期間の点において権衡を失するもののあることは被告所論のとおりである。しかし使用者の訴の対象となるべき労働委員会の命令は直接使用者に対しなんらかの措置を命ずる救済命令であり、この命令は法の目的とする不当労働行為排除に向けられているものであるから、事の性質上長く未確定のまま放置することを許さないものであることを考えれば、その出訴期間の定めは法の深き考慮に出た独自の理由にもとずくものであることが了解せられるのであつて、このことの故に前記結論を左右し得べきものではない。

これを要するに労働委員会の救済拒否処分が行政訴訟の目的たり得ないものとする被告の所論は理由がない。

二、次に被告は原告らは本訴において訴の利益を有しないと主張する。

法は使用者に対して不当労働行為を禁止するとともに、使用者がこれに違反したときは労働組合又は労働者をして労働委員会の救済を求めることを得しめ、不当労働行為の存する限り労働委員会はなんらかの救済を与えなければならないこととしていることは前記のとおりである。救済命令は直接には使用者に対する命令ではあるが、使用者は法律上これに従う義務があり、法律上の制裁によつて強制されているのであるから、これによつて労働組合又は労働者は救済を受けられるべき法律上の地位にある。救済制度が本質上一の恩恵であることは、これによる利益が法律上のものであることを否定せしめない。故にもし本来救済を受け得べきにかかわらず、救済機関たる労働委員会が違法にその救済を拒否する処分をした場合には、申立人はその法律上の利益を害せられることとなるのであるから、訴訟によつて右処分の取消を請求するについて利益を有するものといわなければならない。もつとも使用者の不当労働行為が労働者又は労働組合に対する解雇その他の法律行為である場合には、これらの法律行為は実体上も無効というべきであるから民事訴訟によつて解雇等の効力を争う途のあることは明らかである。しかし使用者の不当労働行為は法律行為たるものに限られず事実上の行為に過ぎぬものもあり、しかも労働委員会の救済は民事判決によるよりも広範囲において、自由かつ迅速に適宣の措置を講じ得られ、これによつて労働者又は労働組合の救済を確保することができるのである。また、不当労働行為はそれだけでは刑罰の対象となるものではなく、労働委員会の命令をまつて、緊急命令又は確定の救済命令に対する違反として、はじめて法律上の制裁によつて強制し得るものであることを考えなければならない。この故に民事訴訟の方途の存することをもつて行政訴訟による利益を否定すべきものではない。

労働委員会の却下又は棄却の処分に対する取消判決は、それが確定しても、これによつて直接に解雇が取り消される等の効力を生ずるものではないが、前記のように労働委員会は確定判決の拘束力を受け、その命令の違法なことが確定され、しかも労働委員会は同一事件について同一の理由で救済の申立を拒否し得ないこととなり、その結果として労働委員会は申立に対しさらに手続を進めて命令を発すべき義務を負うものである。かくして発せられた救済命令に使用者が従うことによつて労働者又は労働組合の救済は現実のものとなるのである。この意味で処分取消によつて受ける労働者又は労働組合の利益は間接的のものというならばいえるであろう。しかしこの一連の関係は法律上必然の経過によつてつらなるものであつて、その間労働委員会又は使用者の自由なる選択によつて別個の発展をとげるべき法律上の余地はないのである。被告は処分が判決によつて取り消された後にも、労働委員会は判決とは別の根拠にもとずいてあらたな判断をなすことを妨げられないというけれども、仮りに別の根拠にもとずくあらたな判断をすることができるとすれば、それはさきの処分にかかるものとは別個の処分というべく、そのことのためにさきの処分の取消を求める利益がないことの根拠とすべきでないのみならず、後の処分にしてなおかつ違法であるならば、当事者は幾たびでもこれが取り消しを求めることができることとなるだけのことである。(行政事件訴訟特例法第十一条が、違法処分取消の訴において、裁判所は処分は違法であるが一切の事情を考慮して、処分を取り消し又は変更することが公共の福祉に適合しないと認めるときは請求を却下し得るとするのは全く別個の問題である)。

これを要するに原告らに本件訴の利益がないとする被告の所論は採用することができない。

第二本案に対する判断。

一、原告らはいずれも岡山県玉野市に事業場を有する補助参加人三井造船株式会社の従業員で、同会社玉野製作所において原判決添附別紙命令書記載のとおりの職務内容をもつものであつたところ、会社が昭和二十四年十二月二十四日原告名倉、神羽、碇金、藤本、尾高ら(以下第一次申立人原告らという)に対し、また同月三十日その余の原告ら(以下第二次申立人原告らという)に対し、それぞれ懲戒解雇の意思表示をしたこと、原告らは右解雇は不当労働行為であるとし、第一次申立人原告らは昭和二十五年一月に、第二次申立人原告らは同年二月に、それぞれ同山県地方労働委員会に対し不当労働行為救済の申立をしたところ、同委員会は原告らの主張するような不当労働行為の事実は認められないとして、昭和二十六年四月二十七日原告らの申立をすべて棄却したこと、よつて原告らは右命令を不当とし、さらに同年五月被告中央労働委員会に対し右棄却命令に対する再審査の申立をしたところ、被告もまた不当労働行為の事実は認められないとして、同年十月二十四日附で右再審査申立をすべて棄却する旨の命令を発し右命令は同月三十一日原告に到達したことはいずれも当事者間に争ない。

原告らは、会社の本件解雇は原告らの正当な組合活動を理由とする不当労働行為であるに拘らず、被告がこの事実を認定せず、その救済申立を棄却したのは違法であるとして、この命令の取消を求めるのである。

原告らは同会社玉野製作所の従業員をもつて組織せられた全日本造船労働組合玉野分会(組合。後に結成された第二組合である三井造船労働組合に対し第一組合とも呼ぶ)の組合員であつたが、右組合は昭和二十四年五月十七日会社に対し、当時の賃金八千円ベースを一万二千円ベースに引上げるよう要求したところ、会社は当時の国内経済事情、会社の経理能力等にかんがみて応諾し得ないと回答し、爾来団体交渉を重ねたが妥結するに至らず、組合は同年九月二十一日から時間外労働協定の締結を保留して残業を拒否し、次いで十月三十一日闘争宣言を発し、十一月十八日闘争規約にもとずく全体投票で「ストを含む実力行使」を決議し、翌十九日から各職場において労働安全遵法闘争を開始し、十一月二十九日から会社の受註した第五四六番船(エルゼメルスク号)の海上予行運転拒否等の部分ストを実施した。しかしその後十二月十九日会社が右エルゼメルスク号の入渠作業を実施しようとしたので、組合は入渠阻止の指令を発し、ために後に述べるような紛議を生じたが、これらの事件を経て同月二十一日には第二組合三井造船労働組合が結成せられて組合は分裂し、第一組合は主導権を失う結果となり、翌二十二日一切の闘争態勢を解き、ここに闘争宣言以来五十日で争議はようやく終結するにいたつた。会社は右争議終結の直後十二月二十四日及び三十日の二回にわたり、第一次申立人ら原告を含む組合中央闘争委員十五名及び第二次申立人原告らを含む十一名の第一組合員をそれぞれ就業規則によつて懲戒解雇に処した。その解雇理由と就業規則の該当条項は原判決添附別紙命令書記載のとおりである。以上の事実はすべて当事者間に争なく、第一次申立人原告らがいずれも組合において中央闘争委員、第二次申立人原告らがいずれも原判決添附別紙記載のとおりの地位にあり、いずれも第一組合員として争議前後を通じ活溌に組合活動を行つていたことは被告の争わないところである。しかも会社が原告らの解雇事由として挙げるところはおうむね前記争議中にした原告らの組合活動であつて、それを不当な組合活動と主張しその責任を問うものにほかならないのであるから、結局本件不当労働行為の成否は主として会社のいう原告らの行為が正当な組合活動かどうかによつて決せられることになる。よつて原告らの解雇事由について判断する。

二、第一次申立人原告らの解雇事由について。

(一)  エルゼメルスク号入渠阻止事件について。

エルゼメルスク号(第五四六番船)は会社がかねてからデンマークのメルスクライン社から受註して建造中であつた外国船であるが、当時組合が実施していた残業拒否、エルゼメルスク号海上予行運転拒否、同沖出及び入渠作業拒否等の部分ストのためにその工事が予定より遅延していた。かくて十二月十九日朝にいたり、会社はついにエルゼメルスク号の入渠作業を実施しようと決意し、船渠課所属職場に対し入渠作業実施の業務命令を発したところ、同職場員はこれに従つて就業することを決議し、同日午前十時頃入渠作業に着手し、船内作業員全員は当時繋船岸壁に繋留中であつたエルゼメルスク号に乗船した。この事実を知つた組合の中闘委員会は同日午前十時中闘指令第七八号を発して、鋳物工場、造船仕上、外業組立、外業機械の各職場員に対し、職場を放棄して繋船堀に集合し、エルゼメルスク号の入渠作業に従業しようとするものを阻止せよと命じ、中闘副委員長である原告神羽、中闘委員である原告名倉及び訴外日向中闘委員を現場に派遣した。しかし結局入渠作業に着手した前記作業員らを思いなおさせることができず、船は、船上に登ろうとした日向中闘委員ほか数十名の組合員をタラツプ上にのせたまま沖出しを敢行した。中闘委員会はさらに午前十時三十分中闘指令第七九号を発して、内業組立、内業機械両職場の職場員を動員し、午前十一時より職場を放棄して船渠に集合し、エルゼメルスク号の入渠作業を阻止せよと指令し、さきに繋船堀に集つた四職場員の大部分とともに同船の入渠すべき第二号船渠の南北両岸に多数の組合員を逐次集合させた。しかしかような組合の措置もその効なく、入渠作業は終了し、組合の動員も解除せられた。

以上の事実は当事者間に争がない。被告は右入渠阻止指令の発令を不当とし、原告らはこれを争うので、進んで右指令の発令ならびに実施の状況の詳細について考える。

成立に争ない乙第一号証の五のうち第二回審問調書(原告名倉の供述部分)、同乙第一号証の六の中第五回審問調書(証人梶原克雄、二一〇九丁以下同山本春夫、二一二五丁以下同西谷章夫、二一五七丁以下同安藤次郎、二〇七五丁以下同折戸功の各供述部分)、同乙第一号証の七の中第四回審問調書(一九〇四丁以下証人水野時雄の供述部分)、同乙第一号証の九の中第九回審問調書(二九七九丁以下証人近藤勝敏の供述部分)、同乙第二号証の三の中第二回審問調書(原告名倉の供述部分)の各記載、原審における証人水野時雄、同山本春夫、同梶原克雄の各証言並びに原審及び当審における原告名倉本人尋問の結果をあわせると次の事実が認められる。当日最初エルゼメルスク号の繋留岸壁に派遣された中闘委員らは先ず船渠課職場員の説得を試みたが応ぜられなかつたので、取りあえず集合した組合員に対し、組合の指令を守り団結を強固にするよう指示し、スクラムを組み労働歌を高唱させていたが、そのうちに日向中闘委員は船内で作業中の組合員を説得阻止すべく多数組合員の先頭に立ち、岸壁からエルゼメルスク号のタラツプを上り乗船しようとした。しかし船上にあつた水野造船部長がタラツプの上からこれを制止して下船を要求したため船内に入ることができず、そのままタラツプ上で水野部長と押問答をつずけているうちに、ブリツジにあつて入渠作業の全指揮をとつていた折戸ドツクマスターが船尾の繋船綱をゆるめることを命じたので船は錨鎖の重みで離岸し、結局タラツプ上に日向中闘委員ほか数十名の組合員をのせたまま沖出にかかつたという次第である。

この点につき原告らは右組合員らは当初からタラツプを占拠する目的ではなかつた旨強調するところ、船が離岸後は岸壁に戻ることができないという結果になつたことは右認定の事実から肯認し得るけれども、いずれにせよ同人らが離岸直前の同船に会社の許可なく立入ろうとし、水野造船部長の下船要求をもきかず、離岸直前には船が出るから即刻下船するよう職制から再三注意もあつたのにタラツプ上を動かなかつた事実は前掲各証拠から明らかであつて、これがタラツプ占拠行為であることは否定し得ないところである。

次に船渠両岸の状況についてみるに、成立に争ない乙第一号証の一の中(一五一丁)証第三十一号、同乙第一号証の六の中(二〇二六丁以下)証第四十二ないし第四十五号、第五回審問調書(二〇七五丁以下証人折戸功、二一〇九丁以下同山本春夫、二一二五丁以下同西谷幸夫、二一三一丁以下同横井利信、二一三七丁以下同東山幸雄、二一四四丁以下同桑田正文の各供述部分)及び第六回審問調書(二二〇八丁以下証人高森真故登、二二一五丁以下同石原義夫、二二二五丁以下同小林良平、二二三九丁以下同峠石松、二二五三丁以下同山下勇、二二二七丁以下原告片山の各供述部分)、同乙第一号証の七の中一八四四丁以下証第三十八ないし第四十一号及び第四回審問調書(一八五三丁以下証人稲葉四郎、一八八五丁以下同渡辺頼次、一九一〇丁以下同前田和雄、一九二〇丁以下同福山雅美、一九四一丁以下同杉本八代治の各供述部分)、同乙第一号証の九の中第九回審問調書(二九七九丁以下証人近藤勝敏の供述部分)の各記載、原審における証人折戸功、同山本春夫、同横井利信、同石原義夫、同山下勇の各証言、原告神羽、同片山、原審及び当審における原告名倉各本人尋問の結果をあわせれば次の事実を認めることができる。前記指令第七八、七九号によつて動員せられ、船渠の南北両岸に集合した約五百名の組合員は、すでに会社の業務命令に従い入渠作業に従事すべく待機していた船渠課地上作業員のいる現場で、原告名倉、同藤本及び訴外横井の各中闘委員の指揮の下にスクラムを組み、労働歌を高唱し、主として海に面した船渠の入口附近に密集して気勢をあげつつエルゼメルスク号の来るのを待ちうけていた。やがてエルゼメルスク号は船渠に到着し、その船首が船渠内に進入を開始したが、船渠入口附近に集つていた多数の組合員らは入渠作業に用いるロープ、ビツト等の施設の周囲に密集し、あるいはその上に坐り込み、また綱を取らすななどと叫ぶものもあつて、現場はかなり興奮した険悪な空気がみなぎり、入渠作業に従事しようとする船渠課職場員の行動及び入渠作業の諸施設の使用は著しく妨げられた。そのうちに船上から綱取作業のために投下せられたヒーブライン(索)を拾い取ろうとした作業員数名は附近の組合員にさえぎられ、綱取り竿(劒鳶)を奪われ、殴打され、あるいは船渠の中へつき落されるなどの暴行を受け、負傷した者も数名に及び、ために船渠前方における綱取りは全く不可能となつた。そこで船上の作業員はやむなく南岸の第九号タワークレーンを使用しその牽引により同船を船渠内に誘導しようとしたところ、一組合員は右クレーンのレール上に仰臥し、さらに木片、盤木等が右レール上に投入せられたので、クレーンの運行もまた停止せられるに至つた。しかし幸いに組合員の手薄であつた船渠後方において船首の綱取りが成功し、辛うじて同船は入渠を完了し、組合員の動員も中闘指令により解除せられ一同は解散したという次第である。

以上認定した事実を通じて考えると、入渠のため離岸しようとする船がタラツプをつけ、しかもその上に多数の人員をのせたままであることは、他の船舶その他の物体との接触等による不測の事態を招きやすく、またそれだけ船の行動を制約することのあるのはみやすいところであるから、前記のように岸壁において多数の組合員がまさに離岸しようとするエルゼメルスク号のタラツプを占拠して下船を肯じなかつたことは、それ自体穏当を欠く実力行為である。また船渠両岸において起つた前記のような暴力の行使を含む綱取作業の妨害、タワークレーンの運転妨害等の行為は、いずれも平和的説得ないし団結力示威などというものではなくそれ自体積極的な実力による業務妨害行為であり、これにより人命及び船体の安全に重大な脅威を生ぜしめたものであることは明白であり、この点において著しい違法行為というほかはない。

原告らは暴力的行為は偶発的派生的なものに過ぎず、当時の組合員らの行動は、全体としてみれば平和的説得の範囲を出るものではなく、正当なピケッティングであると主張する。しかし一般に入渠作業は風潮その他の影響を顧慮しつつ、狭隘な船渠中に巨大な船体を進入させるきわめて困難な作業であつて、ドツクマスターの指揮の下に船上、地上双方の作業員が全員呼吸を合せ適時適所において一糸乱れぬ作業に従事してはじめて成功すべきものであり、特に綱取作業その他船渠における船体の誘導固定の操作を誤るときは船舶の損傷はもとより、船渠諸施設の破壊ひいては人命にも危険を及ぼす重大な結果を生ぜしめるものであり、本件の場合に重大な損傷事故なく入渠し得たことは風速潮流などの状態が幸いしたことによるもので、いわば奇蹟的な成功であつたことは、成立に争ない乙第一号証の八の中調書と題する書面(二六二七頁)同乙第一号証の十の中各回答書と題する書面(三五六四頁ないし三五七四頁)同乙第一号証の六の中第五回審問調書(証人折戸功の供述部分)の各記載、原審における証人折戸功の証言及び当審における検証の結果によつても明らかであり、かような特殊な操業行為に対しては組合活動として許されるピケッティングの範囲も一般の場合より制約を受けることのやむを得ないことは事の性質上当然である。前記乙第一号証の六中第五回審問調書の証人折戸功の供述記載及び原審証人折戸功の証言によればドツクマスターとして右入渠作業を指揮していた折戸功は船が繋船岸壁をはなれて沖出しをした後、船渠の前面に来るまではこのように多数の組合員が入渠阻止のため船渠両岸に参集していることを知るに由なく、船渠に近付いてはじめてこれを現認するにいたつたが、すでにこの期に及んでは船を入渠進入させる以外に方法がなくそれがもつとも損傷を軽からしめるみちであるとしか考えられない状態であつたことを認めることができる。その際組合員の中から船渠入口にかかつた船上の作業員に向つて「船を返せ」、「船を入れるな」等口々に叫んだ事実も証拠のうちに散見するけれども、船はすでに進入するほかない状態であつて、これらの行為も説得としてその効がないことは明らかである。従つて前記のように船渠の現場にあつた多数の組合員が、まさに進入を開始し、進入するよりほかない状態になつた船体を前にしながら、依然狭隘な船渠前面に密集し、諸施設を占拠して綱取作業を著しく困難にしたこと自体すでに許されない違法な実力行使行為であり、刻々進入する船体を見ながら集団のうちに険悪な空気がもり上り、ついに前記のような暴力による作業妨害を生ぜしめたことを考えると、暴力行為自体は結果的なものであるとしても、船渠における組合員の集団行動は全体として違法な争議行為であることは否定し得ず、平和的説得と相去ること遠いものがあることを認めなければならない。

原告らはさらに会社が組合の指令を無視して入渠作業を強行しようとしたのは不当な挑発行為であると主張する。前記のように組合は中闘指令にもとずき十一月二十九日以来エルゼメルスク号の海上予行運転、沖出及び入渠作業等を拒否する部分ストを実施し、本件の当時においても引続き沖出入渠作業拒否の指令が発令中であつたが、前記乙第一号証の六中第五回審問調書(証人安藤次郎、同折戸功の各供述部分)、同乙第一号証の七中第四回審問調書(証人水野時雄の供述部分)、原審証人水野時雄、同折戸功の証言に前認定の事実をあわせれば、九月以来の組合の残業拒否、労働安全遵法闘争殊にエルゼメルスク号に対する作業拒否等のためエルゼメルスク号の建造工程は予定より相当遅延し、会社は引渡遅延による責任、外国に対する会社ないしわが国造船業界の信用等につき苦慮していたが、十二月十八日水野造船部長は現場の工事状況を調査して技術的には入渠作業が可能と判断したので、同夜重役会で審議の上十九日午前中に入渠作業の業務命令を出すことが決定された。よつて十九日朝水野部長は造船工作課長安藤に折戸船渠課長と協議して同日午前エルゼメルスク号の入渠作業を実施するよう業務命令を下した。安藤課長は折戸課長と協議し、折戸課長は船渠課職場員の協力が得られるかどうかを同職場員にはかつたところ、同職場では組合員の会議を開き投票によつてほとんど全員一致でこれに従事することを決議し、その旨を折戸課長に通じたので、ここに入渠作業を実施することとなり、安藤課長は所属の工作課員に入渠準備の作業を命じ、前記のとおり入渠作業が実施せられるにいたつた経緯を認めるに十分であり、その間会社側に特に組合挑発の所為に出たと認むべきものはない。当審における証人野沢留吉は当日船渠課職場員が会社の業務命令に従うかどうかを協議した際折戸船渠課長、水野造船部長のほか加藤社長の三人が同職場の幹部の部屋に来て、職場員の意見のきまるのを待つていたと供述し、あたかも会社側が船渠課職場員を暗に強制したかの如き印象を与えるが、この証言部分は前記証人折戸、安藤、水野らの供述及び供述記載にてらしてとうてい真実に合致したものとは認め難い。当審における証人杉本通雄の証言に本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば、当時組合及び会社側とも賃金ベース引上の問題には譲歩を示さず、団体交渉は行きづまりの観を呈し、互いに文書その他による言論戦を展開し、一方後に第二組合の母体となつた組合員中の有志団体である労働問題研究会の動きもあり、組合員の多数は長期にわたる闘争による収入の低下に悩み、中闘委員会に対する批判的空気もきざし、争議はようやく末期的徴候を示すにいたつていたことをうかがい得るけれども、この背景から考えて直ちに入渠の業務命令は会社が一部組合員と通謀しことさらに組合挑発ないし切崩しの手段としてしたものと認めるべき理由はなく、その他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。使用者が、自己の自由意思によつて罷業に参加しない組合員の力をかりて業務上必要な操業行為を行うこと自体はもとより正当な争議対抗手段として是認せられるべきものである。この点の原告らの主張は失当である。

さらに原告らは組合の指令に違反した裏切り組合員の不当な行動を阻止するため、やむを得ず行つた行為であると主張するが、それだからといつて船体船渠の損傷破壊はもとより会社側の非組合員をも含めて多数作業員の人身にも危険を生ぜしめる前記のような違法行為まで許されるものではないことは論をまたない。

よつて進んでかような違法行為に対する原告ら中闘委員の責任について考える。前記のとおり本件の中闘指令第七八、第七九号はいずれも多数職場員を動員し入渠作業を阻止せよと命じただけであり、その文言から直ちに暴力的行動を組合員に命じたものとは考えられない。もつともさきに発令された指令第七八号は「繋船堀に集合して入渠作業に従事せんとする者を阻止すべし」とあり、これに続いて出された指令第七九号は「船渠に集合し第五四六番船の入渠作業を阻止すべし」とあり、前者はこれから入渠作業に従事しようとする者に対し、阻止の方途を採るべきことを命じ、後者は船の入渠作業そのものを阻止せよと命じているもののように見え、その間阻止の方法手段に微妙な相違あることを思わせるものがある。しかし成立に争ない乙第一号証の五の中第二回審問調書(児玉定の供述部分)の記載によれば、当時中闘は緊急混乱の際正確に文言を検討するいとまがなく、指令第七九号は、船渠において、前指令の期待したと同様のことをさらに二職場を追加動員して行うべきことに主眼があり、両者の文言のもつ意味の相違は深く意図したものでなかつたことがうかがわれるから、この指令の文言から少くとも指令第七九号は暴力的行動を命じたものと解するのは相当でない。そしてまた当時これら指令を発した中闘委員らが右指令によつて明らかに暴力的行動を行わせようと企図したものと認めるべき的確な証拠はない。かえつて繋船岸壁に集つた組合員に対して神羽中闘委員がした演説中には暴力行為をいましめる趣旨の発言のあつたことを聞いている者もあり、また原告名倉の如きは暴力行為の発生に驚いておおいそぎで中闘の指示を仰ぎ、事態の収拾に努力した事実が成立に争ない乙第一号証の六の中第五回審問調書(二一〇九丁以下証人山本春夫、二一二五丁以下同西谷章夫、二一〇一丁以下同梶原克雄の各供述部分)の記載、原審における証人山本春夫、原告名倉、同神羽各本人の供述によつて認められる。そして当初から暴力行為を意図したものであるならばその動員された多衆によつて少くとも船渠現場における地上作業員を全く制圧することも容易であつたともいい得るであろう。しかしはじめから明らかな暴力的意図はなかつたとしても、岸壁における示威も説得もその効なく、すでに沖出しが敢行せられ、やがて船が船渠に進入し来る段階において、重ねて多数組合員を動員して入渠阻止を指令し、約五百名に及ぶ組合員をせまい船渠現場に密集させ、気勢をあげさせるときは、それだけで、それ以上の積極的行為をしないでも、綱取作業はもとより、入渠作業全般の円滑な実施が著しく阻害されることは必然であつて、かような事態は指令の発令にあたつて当然に予想される結果であるといわなければならない。その上当時の現場の状況では、地上作業員の作業はこの密集した組合員の只中でこれと互いに相接触して行わなければならないこととなり、指令違反の作業員を裏切者視し、その行動に興奮した多数組合員が群集心理に駆られて暴力的事態を惹起せしめることのあるのも、いやしくも多衆動員の任をとる者として必ずしも予見し得ないものとはいい難いとしなければならない。本件の場合前記の程度の混乱で船の入渠がともかく完了したのはむしろ偶然であつて、折戸ドツクマスターの言をもつてすれば天佑というほどのものである。しかも当時現場にあつて組合員の指揮にあたつた中闘委員の中にもかような事態を予想してあらかじめ機宜の措置をとつた形跡は、当初岸壁における演説のうちに暴力行為をいましめる旨の発言のあつたほか、これを認めるべきものはない。その演説が無力であつたことは右のとおりである。原告ら中闘委員が突然の事態に直面して前後十分な検討をする暇もなくあわただしく指令を発した事情は諒し得るとしても、一般の組合員ならばともかく、造船所全般の組合活動を掌握し、各職場ないし作業の実状を考慮して争議行為を指導すべき責務を負う中闘委員として、右のような入渠作業の特殊性、及び入渠阻止指令に当然伴うべき危険をすべて無視し、軽々しくかような指令を発し、しかも危険の防止に適切な措置をとらなかつたことは重大な失態であり、とうていその責を免れることはできない。原告らは当時入渠作業がいかなるものかについては知るところがなかつたというけれども、はたしてそうだとすれば、あらかじめ自己のもたらす結果を予測せず、ただ一途に大衆を動員して危険な入渠阻止行為に当らせたわけであつて、その無謀軽卒はおそるべく、そのことの故にその責任を軽からしめることを得ないこと多言をまたない。これらの点をあわせ考えれば原告ら中闘委員の右の行為はそれ自体正当な組合活動の範囲を逸脱した違法な行為であり、船渠現場において入渠阻止を指揮した前記各中闘委員はもとより、本件中闘指令を決議し、その発令を含め、これが執行に当り指令に伴う危険防止のため適当の措置をとらなかつた中闘委員は、すべてその責を免れず、不当に会社業務を妨害したものとして懲戒解雇に処せられたのもやむを得ないものといわなければならない。

(二)  安全衞生遵法闘争について。

この点については原判決の理由と同一の理由により、組合が本件争議において昭和二十四年十一月十九日から実施したいわゆる安全衞生遵法闘争は争議行為として行われた一種の部分ストであり、一般には組合に認められた罷業権の行使というべきものと判断するから右理由を引用する。会社はこれに参加してその間作業に従事しなかつた労働者に対しては賃金の支払を拒むことを得るに止まり、これをもつて違法な組合活動とすることはできない。被告が原告藤本及び碇金について主張するエアーコンプレツサー運転停止の中闘指令も結局安全衞生遵法闘争の一環としてなされた作業中止の指令であると認められるので、右指令自体を違法といい難いことは右と同様である、(しかし右指令が一部中闘委員の恣意により発せられたものと認めるべきことは原判決が原告藤本の項で説明するとおりである)。

(三)  会社の解雇事由は原告らが中闘委員として企画遂行した九月二十一日残業拒否処分以来の争議行為をすべて不当な争議行為として、原告らにその責任を問うものとする点があるけれども、被告は救済申立の再審査にあたり特に本件の争議行為そのものが全体として不当な争議行為であるとの認定をしているものではないから、この点については本訴において判断する必要をみない。

(四)  原告ら各自の行動について。

(1) 原告尾高瀞

原告尾高が組合中央闘争委員長として組合の今次争議を指導遂行したことは当事者間に争ない。しかし当裁判所はこの点に関する原判決の理由と同一の理由により同原告に対しエルゼメルスク号入渠阻止事件の責任を問うことは不当であると判断するから、原判決の理由を引用する(原判決理由第二、二、(三)(1))。同原告がかねて中闘委員長としてエルゼメルスク号の竣工を遅延させる方針を堅持し、それまで数次にわたる同船の海上予行運転、沖出し入渠作業拒否を内容とする中闘指令の発令に関与したことは明らかであり、本件入渠阻止事件がそれらの発展としてなされたものと解し得るとしても、そのことから右入渠阻止指令についてもその責を帰せしめ得べきものでないことは右に引用する原判決理由の説明からもおのずから明らかである。その他被告の当審における主張に対する判断も右に引用する原判決理由の説示に加えるものがない。また安全衞生遵法闘争が違法であるとし得ないことは前説明のとおりであり、この点において被告の主張は失当である。そのほかに本件争議行為そのものが違法不当のものであるとするのは被告がその命令において認めていないところである。

次に同原告の酸素供給中止要請の点については次に附加するほか原判決の理由と同一の理由で、同原告の右行為は正当な組合活動といい得ないものと判断するから原判決理由を引用する(原判決理由前同)。

原告は違法行為を摘発することは本来市民の自由であるという。いかにもそのこと自体はそうである。しかしその違反行為を摘発することをもつて相手方に作為不作為を求めるときは、相手方はその諾否について自由な意思決定を失うこともみやすい道理である。組合が争議行為をするにあたり、その争議行為の効果を無にする如き行為に対してはピケッティングとしてこれを防止する方法をとり得ることは明らかで、それは原則として組合員中の裏切分子に対すると使用者と契約した第三者に対するとによつて区別あるものではない。しかしその目的のためにはすべての手段が是認されるわけのものでなく、穏和な説得もしくは団結の示威という範囲にとどまるべきことは明らかである。相手方に対して事理を説き、争議の実情を訴え、もつて相手方の共感を得、相手方の自由な意思によつてその行為をとどまらしめるものが、すなわち穏和な説得というべきものである。これに対し相手方の過去にあつた法規違反の事実につき告発するかも知れない旨を告げて会社との間の酸素供給停止を求めることは、かかる意味での穏和な説得を越えるものであること明らかである。

(2) 原告神羽、同名倉、同藤本、同碇金について。

これらの各原告の行動と責任についてはすべて原判決理由がそれぞれの該当個所において説示すると同様の理由でこれを認めることができるから右理由を引用する(原判決理由第二、二、(三)(2)(4)(5)(6))。

(五)  以上の事実をあわせれば原告神羽、同名倉、同藤本、同碇金らは、いずれも前記不当な中闘指令第七八号第七九号の決議ないしその執行についてその責任を免れず、かつ原告藤本、同碇金は前記コンプレツサー運転停止を不当に指令しこれを実施させたことにつき責任を負うべき関係にあり、また原告尾高は入渠阻止指令については責任を問うべきではないが前記酸素納入中止要請についての行為は争議中であることを考えても必ずしも軽微とはいえない不当行為であり、これら原告らの右各所為はいずれも会社業務を不当に妨害し、会社に不利益を与えたものとして懲戒解雇に値するものと解し得られるところであるから、その解雇はすなわちこれらの行為によるものであつて、その外に会社がこれを名目として実は同原告らが正当な組合活動をしたことを理由として解雇したものだと推認すべき別段の証拠はない。

三、第二次申立人原告らの解雇事由について。

(一)  原告ら各自の行動について。

(1) 原告平野、同樋口、同秋山、同住田。

右原告ら四名がいずれも造船部工作課塗装職場員であつたこと、昭和二十四年十一月二十九日会社から五四六番船(エルゼメルスク号)の海上予行運転要員に指名された組合員に対し乗船拒否を命ずる中闘指令第三六号が発せられたことは当事者間に争がない。

成立に争ない乙第一号証の九の中第九回審問調書(証人河田新市、同永井一夫、同高橋正郎の各供述部分)及び第十一回審問調書(証人松浦一二の供述部分)同乙第一号証の十の中第十二回審問調書(原告平野、同樋口の各供述部分)の各記載、原審及び当審証人河田新一、当審証人安藤次郎、同永井一夫、同中谷一二、同香川菊雄、同藤田宇三郎の各証言、原審及び当審における原告平野嘉太郎(原審は第一、二回)、同樋口清一、同住田正文、同秋山順一各本人尋問の結果をあわせれば次の事実を認定することができる。塗装職場はセメント工とペイント工とを包含し、ペイント工の方はさらに第一分隊と第二分隊に分れていたが、原告平野、同樋口、同住田、同秋山らはいずれもペイント第一分隊に属し、原告平野は道具番としてペイントハウス(詰所)にいるのを常としていたところ、十一月二十九日朝前記の中闘指令第三六号が発令され、当日エルゼメルスク号の海上予行運転要員として指名された組合員に対し乗船拒否が命ぜられた。しかるに海上予行運転のための運転要員というのは、本来船の運行、試験に必要な作業員を指すものであるが、同船にはこのほかに海上運転には関係なく平常業務として塗装工、木工、銅工等の従業員が従来から船内において作業をしており、同日も右セメント工及びペイント工第二分隊その他の職種のものは同船において作業することとなつていた。一方会社は、同船が輸出第一船として従業員の興味を呼びかねてから乗船の希望者が多かつたため、会社がとくに乗船を許可した者には赤い腕章をつけさせ、これを持たない者は乗船できないこととしており、この腕章は右にいう本来の運転要員のほか平常業務による乗船者にも一様にこれを与え、当日も同様であつた。そこで当時原告平野はペイント職場における職場闘争支部長であり、かつ拡大闘争委員をもかねており、前記のような指令について自己の職場であるペイントの第二分隊がはたして乗船拒否すべきものかどうかに疑義をいだき、始業前中闘委員会に電話してたしかめたところ、運転に関係なくても当日乗船すべき者と会社から指定されている者は乗船を拒否すべく、その者は職制に交渉して配置転換を受けるようとの回答を得たので、ペイント第二分隊はエルゼメルスク号への乗船を拒否し、ペイント組長に交渉して五四七番船エレンメルスク号において銹打作業に従事することとなり、いつたん同船において右作業についた。しかるにセメント工の方は運転要員にあらずとの見解のもとに予定どおりエルゼメルスク号において作業に従事した。もつともこれを乗船させるときは艤装係主任高橋正郎がその場に来合わせた中闘委員青井、井上らにその旨告げ、青井らもこれを黙認し、右高橋の考えでセメント工は腕章をはずして乗船することとした。セメント工の乗船を知つた原告平野はペイントハウスの自己の職場をはなれ、岸壁に近いセメントハウスにセメント職場の闘争支部長藤田を訪ね、事の次第を質したが釈然としないまま、エルゼメルスク号のある岸壁に出て、同所において居合せた艤装係長永井一夫、同主任高橋正郎に対し、その周囲をとりまいた数十名の組合員の先頭に立つて、塗装職場員中のセメント工を乗船させたことの理由を問い、強くその措置を難ずるとともにその中止を要求し、これを取りまく組合員の中から声援同調の声もあつて、くりかえし長時間にわたつて強硬に抗議した。一方会社は当日エルゼメルスク号における就業を拒否した従業員に対しては賃金を支払わぬ趣旨で他の作業への転換を禁じ一様に帰宅を命ずることとしたので、塗装職場長松浦一二(後に中谷と改姓)は、すでにエレンメルスク号の作業に就いていたペイント第二分隊の従業員に対し自ら同所におもむき会社の命令を伝え、作業を中止して帰宅するよう指示したので、ペイント第二分隊員約八名は全員作業を中止して引上げた。たまたま同日原告樋口、住田、秋山らの属するペイント第一分隊約十名は同じく右エレンメルスク号第三ホールドと称する船艙内の銹打作業に従事していたが、右第二分隊が引上げた直後、右原告らは通りかかつた他の者から職場長が来て第二分隊の者をつれ帰つたということをきき、不審の念を起して様子を見るため、他の第一分隊のペイント工らとともに、全員許可なく同所の作業を中止してペイントハウスの方に引き返した。しかしハウスで組長から「君達は違うのだ」といわれて再びもとの職場へ帰る途中、前記エルゼメルスク号の岸壁に来たところ、前記のように原告平野らが大ぜいの組合員とともに係員に抗議中であつたので、右原告ら三名もこれに加わり、原告平野に和して同様の抗議をしたが、程なく職場長松浦に促されてエレンメルスク号の作業に復帰したという次第である。

以上の事実によつて考えれば、右中闘指令そのものはその文字上も本来の運転要員のみに対するものであるのに拘らず、中闘は平常業務の作業員である塗装工らにまで指令が及ぶもののように指示し、ために無用の紛議をまねいたものといえるのであつて、原告平野の前記行動も指令に対する見解の相違に出発していることは諒し得るところであるが、もともと同人はペイント職場のものであり、同職場の闘争支部長であつたのであるから、自己の職場であるペイント工のことに関しては、あるいは若干の行為も是認され得るとしても、事は主として他の職種であるセメント工に関するのであつて、よし指令の解釈に誤解があり、かつ就業拒否のペイント工との均衡もあつて、組合統制上の必要があるならば、事を中闘の問題に移して善処せしめれば足り、自ら許可なく職場をはなれ岸壁におもむき、直接会社側に対して長時間抗議する必要はないわけである。しかもこの抗議において、前記永井、高橋ら係員から説明があり、指令の解釈に行き違いのあること、中闘委員もセメント工の乗船を黙認したこと等の事情は分つたはずであるから、いつまでも同じような抗議を執拗に継続する理由はないといわなければならない。すなわち原告平野が長時間職場をはなれ、その間職務を全く放棄したことは不当な行為であつて、同原告が職場闘争支部長として争議中の組合活動として行つたものであつても、これは正当な組合活動の範囲を逸脱したものといわざるを得ない。

次に原告樋口、住田、秋山について考えるに、被告は右原告ら三名はエレンメルスク号において作業中同僚を煽動し上長の許可を得ないで職場を離脱したと主張するが、同人らの職場離脱の状況は前認定のとおりであつて、仮りに同職場における全員が一時作業を中止してその場を去つたのが、原告らの発意にもとずくとしても、たかだか原告らの中から「おい帰らんか」とか「上つてみよう」という程度のきわめて短い発言があつたに止まり、これによつて全員が期せずしてたやすくそこをはなれたという関係にあることは前記証拠から明らかであつて、これ以上に同原告らが本来作業継続の意思ある他の従業員をことさらにそそのかして職場離脱を決意させたというような事実は本件の全証拠によるもうかがい得ない。この間の消息は結局不審をいだいて様子をみるためのもので他意あるものではないと解するのを相当とする。しかもハウスの方に引上げて組長から「君達は違うのだ」とて作業継続を命ぜられ、再びエレンメルスク号の現場に帰つたのである。ただたまたまその帰途エルゼメルスク号の岸壁における前記紛議の場に際会し、一時これに加わつただけであり、これも程なく職場長の指示があると直ちに作業に復帰したものである。原告らがこの抗議に加わるためことさら職場を離脱したとみるべきなんらの証拠はない。してみると同原告らの行為は軽卒のそしりは免れず、多少行き過ぎの点もないとはいえないが、その間の事情は諒とすべきものがあり、また岸壁における抗議も原告平野のそれに比してはるかに軽度のものであるといわなければならない。会社が右原告らの行為をもつて「故意に会社の不利益をはかり、業務を渋滞させた」ものとして懲戒解雇処分をしたことは懲戒処分として重きに過ぎるばかりでなく、就業規則の不当な適用といわなければならない。

なお、被告は原告秋山については当日岸壁紛議の際同人はさらにセメントハウスに行き同職場の藤田闘争支部長に同様の抗議を行い、持つていた銹打ハンマーを振り上げて「覚えておれ」と捨ぜりふを残したという事実を指摘する。この事実は岸壁の紛議の際の同人の行動の一部としてその解雇事由に含まれるものと解して差し支えないが、前記認定に供した各証拠によれば、セメントハウスは問題の岸壁のすぐ前にあり、銹打ハンマーは当日作業に用いるため同人が持つていたものに過ぎず、藤田は職制としてはセメントの組長であつて秋山の上長ではなく、その接渉も両者のみに限られ他への影響はなく、それもきわめてわずかの時間のことであつたことが明らかであつて、その行為に多少穏当でないものはあるとしても、争議中しかも、岸壁には前記のような紛議が起つていた際のことであり、特に悪質のものというべきではなく、これを加えてみても原告秋山の前記行為の評価についてその結論を左右するものではない。

(2) 原告松田良春、同立花重道、同小野久吉、同片山恒夫。

右原告らの職種、組合における地位、その各自の行為については当裁判所はこの点の原判決の理由と同一の理由により同様に判断し、その各行為がいずれも正当な組合活動と認め難いことも原判決の理由の説明するとおりに判断するから、これらの理由をすべて引用する(原判決理由第二、三(一)(3)(5)(6)(二))。

(二)  以上の次第で第二次申立人原告らのうち原告平野、松田、立花、小野、片山ら五名の各行為はいずれも正当な組合活動の範囲を超えるものであつて、その行為の不当性も軽微とはいい難く、会社がこれを会社業務を妨害し会社に不利益を与えたものとして懲戒解雇に処したのはやむを得ないものといわなければならず、同人らの解雇をもつて正当な組合活動を理由とするものとは認められない。

しかし原告樋口、秋山、住田について会社が懲戒解雇処分にしたのは重きに失し、その就業規則の適用は不当であるところ、同原告らがそれぞれ前記のように第一組合の職場闘争支部統制班員等として、終始熱心に組合活動を行つていた事実を考え合せると、他に特段の事情の認めるべきもののない本件においては、右解雇は同人らの正当な組合活動を理由とする不当労働行為と推認せざるを得ない。もつとも、被告は原告秋山については同人が十一月二十九日朝造機部が無断で職場放棄をして職場会議を行つた際、自ら同職場に属しないに拘らず塗装職場の従業員を先導引卒して参加し気勢をあげたという事実を指摘するけれども、この事実は、当事者間に争ない会社の解雇事由自体に明らかなように、同人に対する会社の解雇事由には取り上げられておらず、被告もその命令においてこれを認定するものではないことからすれば、後にいたつてはじめて会社が主張するようになつたものと解すべきであるから、原告秋山の解雇事由がこれにもとずくものとは認め得ないところであり、右結論を左右するものではない。

四、最後に原告らの第一次第二次申立人原告らを通じて本件解雇が不当労働行為であることをうかがわしめる資料としての会社の支配介入の事実、第二組合員との間の不当な差別待遇の事実についての主張がすべて理由がないことは、原判決のこの点の理由と同一であるからこれを引用する(原判決理由第二、四)。

五、結論

原告樋口、秋山、住田に対する懲戒解雇は会社の不当労働行為であること前認定のとおりである。しかるに被告は右原告らの救済申立を棄却した初審岡山県地方労働委員会の命令を正当として、同原告らの再審申立を棄却したものであり、その命令は違法な行政処分として取消を免れない。被告は、労働委員会は懲戒処分が重すぎるか、就業規則の適用が不当であるかについて判断の権限はなく、労働者がいやしくも違法な行為をし、使用者がそれを理由に解雇した以上、その処分の軽重ないし就業規則の適用の当否を主張して労働委員会の命令を攻撃することはできず、裁判所もそれを理由として労働委員会の命令を取り消すことはできないと主張する。しかし懲戒処分の軽重、就業規則適用の当否は使用者の不当労働行為の有無の判断においてなされるのであり、もし使用者が労働者のそれ自体としては処分に値しない軽微な違法行為をとらえて、就業規則を不当に適用し懲戒解雇に処した場合、一方においてこの労働者らが正当な組合運動として活溌な行動をしているときは、他に特段の事情のない限り、その正当な組合活動の故に、名を就業規則による懲戒解雇にかりて、不当にこれを解雇したという不当労働行為の存在を推認せしめる場合があることは否定し得ない現実である。原告らのこの点の主張もかかる意味においてなされるのであり、裁判所の判断ももつぱら不当労働行為の存否の判断としてなされるものであることはさきに判示したところからおのずから明らかである。この点の被告の主張は失当である。

右原告ら三名を除くその余の原告ら十名に対する会社の解雇は同人らの正当な組合活動を理由とするものとは認められないから、会社の不当労働行為と認めるに由なく、同原告らの救済申立を棄却した初審岡山県地方労働委員会の命令を正当として右原告らの再審申立を棄却した被告の命令は正当であり、なんらの違法も存しない。

よつて原告樋口、住田、秋山三名の本訴請求は正当として認容すべく、その余の原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべく、これと同旨の原判決は相当であるから、右原告樋口ら三名を除くその余の原告ら十名の本件控訴及び被告の控訴はいずれも理由のないものとして棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条第八十九条第九十三条第九十四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)

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